こんにちは。特派員のツツミです。
今日は歴史案内です。
2月17日(土)~25日(日)、眞勝寺で「田中吉政展」が行われます。
柳川の武将といえば立花宗茂公が知られていますが、関ヶ原の戦い後、柳川に入ったのは田中吉政公です。
吉政公は石田三成捕縛の功績により、初代筑後国主として柳川城に入城。
柳川城や掘割、久留米~柳川を結ぶ道路、干拓堤防などを整備し、現在の柳川のまちをかたちづくったといえます。
その後、吉政公は江戸へ向かう途中、京都・伏見で亡くなりますが、亡骸は柳川に埋葬するよう遺言を残していました。
遺言には、墓石の真上にご本尊を安置し、それを覆って建物をたてるように、などと細かく指示していたようです。
その墓石、ご本尊のあるお寺が眞勝寺(しんしょうじ)です。
境内にお墓があるのではなく、本堂自体がお墓といえ、大変珍しいものとされています。
さらに、珍しいのがご本尊の真下にある墓石です。
吉政公が用意していた墓石らしく、形が四角錘なのです。
ややピンクがかった色で、真上から見ると十字を切ったように見えます。
研究者によると、ピンク石と呼ばれる石や十字を意味するような形はキリスト教徒の高位者に使用されるものらしく、吉政公はキリシタンだったのか!?ともいわれます。
吉政公がキリスト教徒だったことを示す資料は残っていませんが、眞勝寺の前住職の頃、お参りに来た長崎の神父さんがこの墓石を見て涙を流されたそうです。
先だって、私は初めて本堂下へ行く機会を得ました。
腰をかがめて足を進めていくと、何でしょうね、不思議な感じがします。
ご住職によると、パワーが強くて「入口から進めない」という人もいるんだそうです。
私は鈍感なので大丈夫。入れました。
ただ、墓石だというのに不思議と怖くありません。
しかも床下なのに空気が綺麗な気がします。
掃除が行き届いているのか、冬だからか、“気”を考慮して建設されているのか!?
吉政公は「土木・治水の神様」と呼ばれ、土木建築関係者のお参りも多いのだとか。
またキリスト信者も時折お参りに訪れるそうです。
「田中吉政展」は、そんな吉政公を紹介するものです。
1週間限定となりますが、どうぞ足をお運びください。
特別展示、特別講演もあります。
■田中吉政展
○日時:2024年2月17日(土)~25日(日)9時~17時(最終日は16時まで)
○場所:真宗大谷派田中山(でんちゅうざん)眞勝寺(しんしょうじ)納骨堂2階(柳川市新町5-10)→地図
○料金:無料
○特別講演など:
◇2/17 11時 柳川市民吹奏楽団演奏
◇2/17 13時 講演「田中吉政公の公共事業と産業振興政策」(大矢野栄次氏)
◇2/17 14時 講演「立花宗成・誾千代と田中吉政の筑後入国」(半田隆夫氏)
◇2/18 11時 講演「田中吉政の近江八幡城主秀次時代」(太田浩司氏)
◇2/18 11時45分 講談(金印亭恵紅氏)
※チラシ→こちら