事務局だより

珍しい大蛇・崩道地区_観音堂祇園祭(大蛇山)

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こんにちは。特派員の待鳥です。
毎年、旧暦の6月17日(2014年は7月13日でした)におこなわれている
崩道(くえど)地区の観音堂祇園祭(大蛇山)に行ってきました。

崩道大蛇山1
大蛇が観音堂の横にある空堀のお酒を飲みに来る様子だそうです。

今回、崩道大蛇山保存会の椛島さんに、詳しいお話をたくさん教えてもらいました。
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お祭りの当日の朝から、この地区の大人と子どもが一緒に雄と雌の大蛇を作ります。

胴体は藁。顔には有明海の潟。
角は柳の枝など。
鱗はシジミ。
目はミゾゲ(←地方名だそうです。=カラスガイ:淡水の貝です)。
雄の歯は「アゲマキ」。雌の歯は「メカジャ」。
というように、こちらの大蛇山は地元にある土や貝で作成されていて、
これらの材料も、みんなで半年くらいかけて徐々に集めているそうです。

崩道大蛇山2

雄の大蛇は木の上から降りてくるように、胴体と尾が木の上に、
雌の大蛇は堀の中から上がってくるように胴体は地を這い、尾は堀の中にあります。

崩道大蛇山3

崩道の大蛇山は動きません。(山車でなく固定されているので)
材料は地元で天然素材を採取して使ってます。
お祭り当初から形状や材料がほぼ変わってない。
という、とても珍しいものです。
地元の方々の伝承によって変わらずに引き継がれてきています。
このような大蛇山は全国的にも珍しく、民俗学的にもとても貴重な事のようですよ。

この祇園祭が行われているのは南浜武にある崩道地区です。
崩道地区で祇園祭(大蛇山)が始まったのは今から約250年前。

約400年前に、筑後藩藩主 田中吉政が慶長本土居(有明海沿岸に32kmも続く堤防)を
作り終えた頃、この観音堂がある地区は、まだ慶長本土居の外側で海や葦の原でした。
干拓事業はその後も行われ、まず「六郎兵衛開」という地区ができ、人が住み始めたのが
約300年前。
出来たばかりの干拓地では風水害や塩害、疫病等、災害が続き住民は苦労していました。
そこで、観音堂を建て、無病息災、厄払い、五穀豊穣、豊漁など、神のご加護を求め、
大蛇山を奉納したのが始まりだそうです。
観音菩薩様は瀬高の女山(ぞやま)から勧請されたそうです。

大蛇(龍の化身)なので田植え後のこの時期、
雨乞いの祈りも込められていたのかもしれないとの事でした。
崩道大蛇山4

早朝から作りはじめられた大蛇は、昼過ぎに出来上がり、
観音堂の周りでは、お参りの方々や遊ぶ子供たちが数多くみられました。
夕方まではのんびりとした感じですが、

夜は・・・祭りのクライマックス!!!

崩道大蛇山5
大蛇が火を吹きます!!

ここは男の子たちの見せ場ですね〜。どんどん花火に火をつけて大蛇を演出してましたよ。
崩道大蛇山5 崩道大蛇山6
鼻から口から火を吹きます。豪快です。

そして、カラオケ大会などの余興もはじまりました。住民の方達とても楽しそうでしたよ。
いつもは観音堂の前にステージを作ってやられているそうなんですが、雨の予報がでていたので公民館でありました。
今年は「日向ひょっとこ」のひょっとこ踊りもあり、とても盛り上がってましたよ。
崩道大蛇山7崩道大蛇山8
これも奉納行事なんです(^^)

そして、お祭りが終った次の日の早朝、大蛇は海に帰って行くそうです。
(大人が沖端川下流の有明海に流します)

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崩道地区_観音堂祇園祭(大蛇山)
開催日:旧暦6月17日
場所:南浜武 崩道観音堂(崩道公民館のそばの児童公園内)
駐車場はありません。
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*お祭りの花火は大人が側についていて安全に考慮してやられています。真似しないでくださいね。

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