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3月-2011

柳川 水の物語

掘割城塞水門

『水郷」のイメージが広く定着している柳川の象徴的な掘割の風景。実はこの掘割、昔々人の手によって人工的につくられたものって知ってました?

柳川をはじめとする筑後地区は、かつては広大な湿地帯と遠浅の有明海でした。そこに今から約2000年ほど前の弥生時代に人が移り住んだことからこのあたりの土地の歴史は始まります。

彼らは日照りが続けば干ばつに、そして雨が続けば洪水に悩まされられる粘土質の劣悪な環境の土地に住めるよう掘削し、掘割を張り巡り、田畑を整備し、村を形成していきました。

戦国時代になると城が築城され、柳川の掘割は、治水・利水のみならず、城を防衛する役割も併せ持つことになります。現在の掘割のカタチは、江戸時代に完成した掘割をベースとしています。

長い時を重ねて掘りに掘った掘割の総延長は市内に約930km。先代が築いた網の目のように走る掘割は、農業用水としてはもちろん、昭和30年代頃までは飲み水などの生活用水にも使われていました。

現在では、さまざまな要因により掘割の水量は減少し、水流も緩やかになっていますが、長い時間をかけて形成した掘割は、現代を生きる私たちに、柳川が歩んできた水事情の歴史を教えてくれます。川下りを楽しみながら、水辺に佇みながら、そんな柳川の背景を心に思い描けば、このまちの風景が、また違った角度で見えてきそうです。

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