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11月-2016

柳川藩最後の藩主は和歌が得意!?

皆さん、はじめまして。

今月、地域特派員の任命を受けたツツミです。
これから柳川のあれこれをご紹介させていただきます。
どうぞ、おつきあいください。

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さっそくですが、先日、
小郡市・九州歴史資料館の歴史講座に行きました。
「柳川の話なのに、なぜ小郡に?」と思うでしょう?
なぜなら、テーマが
「柳川藩最後の藩主・立花鑑寛(あきとも)と純姫(すみひめ)」だったからです。

柳川藩初代藩主・宗茂公は有名ですが、最後はご存知ですか?
もしかしたら、本にもなった
家老・立花壱岐のほうが有名かもしれませんね。
私はもちろん、知りませんでした…。

講師は、柳川古文書館学芸員の白石直樹先生。
歴史的背景を交えながら鑑寛(あきとも)公の人となりを
短い時間にわかりやすく解説してくださり、
予備知識のない私は助かりました。

100人くらいの会場はほぼ満席。
「こんなに多くの人が柳川に興味を持ってくれている」と思うと、
嬉しくなりますね。

さて、本題。
鑑寛公が12代藩主になった経緯は、なかなか複雑です。
10代藩主の鑑広(あきひろ)公は10歳くらいで亡くなったのだとか。
養子を迎えられるのは17歳かららしく、柳川藩はピンチを迎えます。

鑑広公の藩主就任時にはすでに年齢をごまかし、
亡くなったら、それを隠し、
後に11代藩主となる鑑備(あきのぶ)公が
鑑広として立ち回ったこともあるようです。
影武者!? なんだか、歴史サスペンスや映画のような話ですね。
しかし、鑑備公も病弱だったようで、
もともと藩主になる系譜でなかった鑑寛公が
バタバタと養子に入って藩主となったのだそうです。

家を継ぐ長男と対照的に弟たちが伸び伸び育つように、
この鑑寛公も藩主になるつもりはありませんから、
気持ちも行動も自由。江戸に長く暮らし、
文化に明るく文芸にも秀でていたようで、
和歌をたしなみ、詠んだ和歌は1万首以上にのぼります。

文芸の素質をさらに伸ばした要因は、
純姫(すみひめ)との婚姻にも関係ありそうです。
この純姫は
11代将軍・徳川家斉の実弟・田安斉匡(なりまさ)の娘で、
松平春嶽の姉になります。
田安家というのは文化の拠点だったらしく、
縁談が持ち込まれた当初こそ
格の違いなどから婚姻を渋った立花家ですが、
文化的な鑑寛公にとっては、
結果的に馬の合う縁戚になったのではないかと思われます。

ペリーが来航し、開国だ、尊王攘夷だと社会が揺れていく中、
立花藩では「歌合せ」が開かれています。

2チームに分かれて1人ずつ選出。
名前を明かさずにお題にあう歌を詠みあい、
判者がどちらの歌が良いか判定するというもの。
紅白歌合戦ならぬ、紅白和歌合戦ですね。
後になって名前を明かすらしく、
藩主も家臣も同等の扱いだった、
というところがいいですね。
口うるさい上司に部下が勝って拍手喝采、
なんてこともあったかもしれません。

この歌合せは、
ペリー来航前の1852年から大政奉還の1867年まで
行われているのですが、
柳川藩は台場の警護も担っているため、
悠長に遊んでいたわけではないようです。
移りゆく世の動きを歌にしたため、
うっぷん晴らしでもしたのでしょうか。

柳川古文書館には、この歌合せをはじめ
鑑寛公や家臣、奥女中らの和歌を
まとめた歌集が残っています。
これらの和歌を紹介する展示イベント
「柳川藩と和歌~立花鑑寛・純姫と家臣たち」が
12月18日(日)まで、柳川古文書館で開かれています。

お隣の大川市が、古賀政男先生に代表されるように
音や曲の才能を輩出しているのに対し、
柳川市は、北原白秋先生に代表されるように
詩歌など言葉の文化が注目されます。
その根底には、このような和歌に興じた
藩の文化が流れているような気がします。

 

■柳川藩と和歌~立花鑑寛・純姫と家臣たち
会期:開催中~平成28年12月18日(日)
場所:柳川古文書館(柳川市隅町71-2)
TEL:0944-72-1037
※展示解説:12月10日(土)14時
※展示イベントの詳細はこちら→ 柳川市ホームページ

◇歴史文化講演会
「田安文化圏と大名歌人たち」(広島大学教授・久保田啓一氏)
「松平春嶽と田安徳川家そして立花家」(福井市立郷土歴史博物館館長・角鹿尚計氏)
日時:平成28年12月4日(日)13時30分
会場:柳川市立図書館2階AVホール
入場:無料
TEL:0944-72-1275
※詳細はこちら→ 歴史文化講演会


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