特派員 大坪潤一

   「柳川の歴史を知りたい」もしそんな興味が湧いたなら、おすすめしたい“博士”がいます。歴史研究家の「半田隆夫」先生です。私が、大和町・中島朝市の調査を行う過程で出会った”恩人”です。柳川の歴史について最も深い知識を持っている方だと思います。

   2014年で76歳になりますが、125冊もの歴史の本の制作、「ふるさと歴史講座」という歴史の勉強会運営、雲龍久吉顕彰会の発足などなど、まだまだ意欲的に活動されています。そんな”柳川の辞典”、半田先生を紹介します。


■プロフィール

半田隆夫 プロフィール写真昭和13年(1938)年、大分県中津市に生まれる。柳川市在住。
大分県立大分舞鶴高校、九州大学大学院文学研究科修士課程(史学専攻)修了。
九州共立大学、放送大学福岡学習センターなどを経て、現在は福岡女学院大学生涯学習センター講師。

過去3回、東京・赤坂御所において“秋篠宮殿下”へのご進講。テーマはそれぞれ、平成8年12月「神神と鯰」、平成11年2月「神佛と鯰」、平成17年2月「神佛と鯰・続1」

著書に『九州の歴史と風土』、『中津藩・歴史と風土』1〜18輯、『豊津藩・歴史と風土』1〜10輯、『薩摩から江戸へ−篤姫の辿った道−』など。

共著に『福岡県史』(近世史料編)、『大分県史』(近世編Ⅱ、Ⅳ)、『藩史大事典』(第7巻九州編)、『國史大辭典』など。


■生い立ち

中津 地図

   半田先生は1938年、大分県中津市で誕生します。父親は大分大学の日本史の教授であり、いつも使いふるしの原稿用紙の裏に鉛筆と消しゴムで原稿を書いていたそうです。半田先生にとってその姿は、ほのぼのとした印象として心の中に刻まれました。そうして高校2年生の頃から本格的に歴史の道に進もうと決め、九州大学の文学部に進学します。

  大学教員だった父親の文章は研究論文のような堅い表現ではなく、高校生の半田先生にとっても読みやすい優しい文章だったとのことです。半田先生の書いた本もとても読みやすく、半田先生自身も身近な歴史の発見を目指してるということで、お父さんの影響を感じました。

 


■歴史研究家へ

   その後、大学院まで進み、地元大分県の杵築を中心に近世の研究を行いました。卒業後は、伝習館高校の歴史教員として、その後ずっと住むことになる柳川に移住します。なぜ、縁もゆかりも無い柳川の伝習館を選んだのか、それは伝習館文庫に所蔵されている史料によります。伝習館文庫には、まだ研究されていない多くの柳川藩の歴史史料がありました。それが先生にとって魅力的だったのです。

   その後、教員を退職、そして地元中津藩の研究を始めます。

   父親から大分県中津の市立小幡記念図書館に、中津藩の藩政史料がたくさんあることを聞いていた半田先生は、柳川より1人で図書館に赴き、研究、そして青焼きによって自費で中津藩政史の史料集を出版します。こうした研究が認められ、中津市の教育委員会より正式に中津市の仕事として任されることになります。その後、半田先生を中心とした「中津藩政史料刊行会」が発足、毎年1冊ずつ合計18冊発行しました。

   こうして歴史研究家としての評価を高めた半田先生は、豊前市・豊津町・勝山町・筑豊・南関・大和・みやま・大分県・福岡県、そして國史大辭典と数多くの日本の歴史を紡いでいきます。

   一番嬉しかった仕事が『國史大辭典(こくしだいじてん)』の執筆とのことです。國史大辭典とは、日本最大級の歴史百科事典であり、54000余もの項目があります。半田先生は、中津藩・柳川藩などの項目を20項目程度担当しました。国の歴史に残る日本史百科事典を執筆することは歴史家にとって大変名誉なことであり、仕事が認められたことを証明します。半田先生はまさに日本に誇る歴史研究家なのです。


■人とのつながり

scan-002のコピー

   50歳になった時、友人の1人から「今まで本を何冊書いたか」と問われます。数えてみると60冊になっていました。友人は「じゃあ、60冊出版の“還暦”のお祝いをしよう」そういうことで柳川のお花でパーティを開いてくれました。60冊という出版数もさることながら集まった友人はなんと250人。歴史を研究するうちに仲間が増え続けていたのです。

   250人もの仲間がお祝いしてくれたことには背景があります。半田先生は自分1人でやることは限られていると考えています。半田先生は新しく発見したことを、古文書を読む歴史講座(ふるさと歴史講座)で市民に提供します。その講座は、単なる講演会でなく、市民が古文書を読むことが出来るように、歴史発見出来るようにという願いのもと開かれています。実際に、10年間程度通ってくれた市民が自分で出版する例もあります。地域で古文書を読める人を増やし、裾野を広げて、みんなで歴史を発見する、これが半田先生に数多くの仲間がいる背景です。

   著書の1つである『福岡県の不思議事典』。これは研究で知り合った仲間、講座で古文書が読めるようになった人や、大学の先生など、半田先生の人脈を生かして46人もの共同著書によって完成した本です。人とのつながりを大切にする半田先生を表した本だと感じます。


■大河ドラマ「篤姫」の間違いを発見

scan-003のコピー

   2008年の大河ドラマ「篤姫」の話です。ドラマ内で篤姫は、鹿児島の鶴丸城から江戸へ船で上っていきました。しかし、当時南関町史の執筆をしていた半田先生は違和感を覚えます。調査してみると南関の史料には、「篤姫が南関のお茶屋に立ち寄った」、「熊本の角小屋(御茶屋)でスイカを味わった」という記述があったのです。そこから、篤姫は陸路で江戸に向かったという仮説を立て、実際にコースの調査に向かいます。結果として、小倉から下関に船を使いますが、他は陸路だったことが疑いようのない事実として判明しました。放送終了間際の12月1日に『薩摩から江戸へ−篤姫の辿った道—』を発行、この大発見は反響を呼び、12月28日の朝日新聞の全国記事になりました。

   このように半田先生は足を使って歴史発見します。古文書は一品資料であり、大半は現地に行かないことには読むことが出来ません。大和町史の執筆においても、山形に向かい韓国に漂流した後、有明海に帰って来たという船「弁天丸」の史料を発見したことから、実際に山形や韓国に調査に向かいました。足で書く、これが先生のやり方です。


■柳川についての新発見

   柳川が誇る文化に「川下り」があります。戦後、文人たちが「どんこ舟」という愛称をつけ始まった川下りは、今では柳川観光の目玉の1つとなっています。しかし、実は江戸時代、川下りは現在とは違う実用的な使い方がされていました。

   筑後国主の田中吉政は、矢部川から水を引いてきて人工の掘割を作ります。そんな江戸時代の史料にこのような記述があります。「瀬高蔵の辛子100俵、中山より堀舟で積んで、柳川蔵に運ぶ」。現在は観光として使われている「どんこ舟」ですが、江戸時代には年貢を運ぶ「堀舟」として使われていたのです。柳川蔵に年貢を運ぶ当時のルートと現在の川下りコースは重なります。川下りのルーツを解明する、半田先生の発見です。 


■柳川への貢献

scan-001 のコピー

   大和町史作成、柳川の歴史研究以外にも様々な形で第二の故郷柳川に貢献されています。

大和町文化協
   昭和51年当時、まだ大和町には公民館がなく、文化活動を行う拠点がありませんでした。そこで大和町の有志で文化協会を設立し、豊原小学校の体育館を使って活動を始めました。郷土史研究や書道、絵画、お茶、お花など様々なグループが発足します。その甲斐あって大和町公民館が建設され、活動の場は移りました。

雲龍久吉顕彰会
   雲龍久吉が横綱になって150年の節目である2012年、雲龍の顕彰会(功績をたたえ広める会)を発足、仲間に呼びかけ『雲龍久吉物語』を自費出版しました。子供たちにも読めるようにというコンセプトのもと、分かりやすく雲龍久吉の情報がまとめらています。

半田隆夫 写真-4 のコピー

ソフトボール監督
   「足で書く」研究家であるように半田先生は運動が大好きです。38歳から10年間六合校区の島でソフトボールの監督を務めました。

ふるさと歴史講座
   もともとは地元大分県中津市で始めた「ふるさと歴史講座」。現在は柳川市、そして近年は大川市でも開講しました。最先端の研究を知ることができ、また古文書を読めるようになるための講座です。この講座から数多くの研究家、仲間が誕生しています。柳川の講座は2014年で19年目を迎え、授業数は100回を超えています。5000円の会費で年6回、誰でも受講可能です。柳川市立大和公民館の2階研修室で行われています。

問い合わせ 

ふるさと歴史講座事務局長 横山 政幸 TEL:0944-73-0516


■歴史を学ぶ意味

半田隆夫 写真-5 のコピー   「歴史というものは一個人のものではなく、民衆が歴史になります。なるべく多くの人が古文書を読めるようになり、なるべく多くの人で歴史を発見できることが望ましい。講演会などで裾野を広げ、子供でも読めるような分かり易い本にまとめ、そして子供たちが新しい発見をしていって欲しいと願います。まずは自分の周りのもの、自分の地域をよく知ることが大切です。」

一筆御礼
「歴史の研究家」。なんだか少し堅い印象を受けます。私も半田先生とお会いする前は「1人で寡黙に黙々と調査しているのかな」と勝手に想像しておりました。しかし実際の先生は全くそんなことはありません。むしろ、色々な仲間と一緒に歴史を解明しようとされています。仲間と行かれる「調査遠征」は、失礼な言い方かもしれませんが「楽しい旅行」のように感じました。人とのつながりを大切する半田先生は、もちろん根っから人が好きなのだと思います。しかし「自分でやれることは限られている、裾野を広げることが大切」という言葉からは、歴史研究家としての強い使命感も感じます。落ち着いた口調で、1つ1つ紡ぎだされる先生の言葉は、的確で、崇高な印象さえ覚えますが、時折見せてくれるおどけた笑顔は、少年のような朗らかさを感じます。現在もみやま市史の編纂をされており、まだまだ多くの歴史を解明してくれそうです。76歳になっても精力的に活動される姿にむしろ僕が気力を頂きました。お話、どうもありがとうございました。


 

LINEで送る
[`evernote` not found]

0

 likes / 0 Comments
Share this post: