02
10月-2012

10年前の分岐点(椛島さん)-若っかもんの主張

今年2月に開催しました、「柳川の若っかもんの主張」に出演してくれた発表者を一人ひとり、紹介しています。

今回は、2人目に登壇してくれた、椛島さんです。

発表内容は以下のとおりです。

タイトルは、「10年前の分岐点」。

皆さん、こんにちは。私は昭代地区で農業を営んでいます、椛島と申します。

このような発表会は大変不慣れで、多少お聞き苦しい点があると思いますが、よろしくお願いします。

私は高校卒業後、約10年間大牟田市の会社に勤務していました。工場再編に伴い、大阪工場に転勤しましたが、時を同じくして父親の糖尿病が悪化して網膜症となり、父は農業の廃業を考えていました。人生の分岐点が来たのです。

私は大変苦悩しました。眠れない夜が何日も何日も続きました。「このまま会社におったら、自分は安泰ばってん、家は終(しま)ゆるなあ。俺はこのままでもよかばってん何か違う。んにゃ、でけんばい」。私は決断しました。

その決断を大牟田工場の時の工場長で、仕事場での父親と尊敬していた方に打ち明けたところ、「お前は何を考えとるんだ。お前は会社に残れ」と今までに見たことも無い剣幕で怒鳴られました。

私は「他の人はどうかわかりませんが、自分は家あっての勤めであって、勤めあっての家ではないとです。家は終えます。これ以上引き止められたら、いくらあんたといっても日の丸の下で喧嘩せやんことになります。職業選択の自由は私にあります。わかってください」と言って、大阪を後にしました。

「何でわかってくれんのや」と、その涙混じりの弱い声が今でも耳を離れません。

このやり取りは、私が37歳まで過ごした中でも、決して忘れることの出来ない、最も辛い、苦悩し、葛藤した、一番思い出したくない別れとなりました。

放心状態のまま、柳川へと帰ってきました。俗に言う都落ちです。取り合えず家業である農業となりましたが、何をするにも身が入らず、仕事に取組む意欲も気力も失せたままの一年目。私は自分の馬鹿さ加減に呆れてしまいました。

私はトラクターに乗ったことがなかったのです。まあ、見るとやるとでは大違いで、触ったこともないレバーや操作のわからないスイッチ。いつ、何をどうしたらよいのかさえわかりませんでした。

戸惑いや失敗の連続でしたが、父の仕事仲間の方々に助けられ、支えられ、また、見守られて、何事も無かったかのような生活を送ることができました。

今思えば、先輩達の的確なアドバイスや激励があったからこそです。感謝に絶えません。

また、同時に自分をいくらがっでんあるごと思っとる自分も混在しており、誠に恥ずかしくもありますが、人間らしくもあり、胸中は若干複雑です。事実、私は中途半端だったのです。

中途半端なままの私は、近所の先輩や後輩にそそのかされ、まんまとJA柳川青年部昭代支部へ所属することとなりました。

入ってみると、私は自分が想像していた青年部と実際の青年部のギャップに唖然としてしましました。会議での発言はないわ、雑談は弾まないわで、最初は早まったとさえ思ってしまいました。

ところが、そんな活気の無い青年部に入っていたお陰で、JA職員だった現在の妻と知り合い、結婚し、子宝にも恵まれ、両親を安心させることができました。青年部活動に文句を言っておきながら、ちゃっかり結婚しとるんですから、我ながら面の皮の厚さは十分承知しております。

28歳で、10年勤めた会社を離れ、農業で一からのスタート。

32歳、就農4年目くらいで一通りの作業と流れを憶え、34歳、生活の基盤が固まりつつあることを感じながら結婚。

日々営々と暮らすということの難しさ、父親の背負っていた責任の重さを知り、その重圧から逃れたくても逃れられない。退職後の6年間は、もがきながら、苦しみながらとにかく全力疾走でした。

36歳で昭代地区の支部長となり、1年目に昭代地区の一つの保育園と二つの幼稚園を対象に枝豆の収穫体験を行いました。青年部盟友やJA職員、先生方の協力により収穫がスムーズに進んでいる時、そこには何だかわかりませんが胸が詰まり、目から涙がこぼれそうなほど感動した自分がいました。

屈託のない満面の笑顔で収穫する子や、収穫に飽きた子は、田んぼを駆け回ったり、虫やカエルを捕まえたりと十人十色。「ああ、これが収穫の喜びか」。園児達の姿を見て衝撃と感動を受け、改めて学んだ就農8年目の自分がいました。

調子に乗って2年目は枝豆と大根に挑戦。結果大盛況でしたが、麦まきと重なることとなり、支部盟友には迷惑をかけたなあと少し反省しています。

今度、私はいちご栽培にチャレンジします。理由は多々ありますが、大きな理由としては仕事を分散化し、足元の状況に応じた経営と新規作物への挑戦。他には、自分が一から始めることで、新規就農者の増加や農業活性化へ繋がればと思っています。

今、農業を取り巻く環境は、コロコロと変わる農業政策、安い輸入農産物の増加、市場価格を無視したスーパーの撒き餌のように扱われる農産物など、大変不安定です。

その要因は政治や教育、国民意識の変化など多岐にわたる複合要因だと考えていますが、更に悪化させる恐れがあるのが、TPPだと思います。TPPの問題点をいくつか挙げますと、遺伝子組換え作物の輸入であったり、ポストハーベストが解禁されるかもしれないということです。

ポストハーベストとは、農薬の収穫後散布のことで、現在日本が定めている厳格な基準値は撤廃されるかもしれません。食の安全が崩壊すれば、それなりの覚悟が必要だと思います。

水俣病は皆さんに何を教えたのでしょうか。健康はお金では買えないということ。そして、その影響が次の世代まで及ぶということを考えて下さい。それがまさに覚悟なのです。

また、一昨年には宮崎県で口蹄疫が大流行しました。宮崎の畜産農家は半数程度になったそうです。しかも、その半数程度の農家も完全に回復したとは思えません。そこにTPPを進めようとする政府と経団連は全く信用のできるものではありません。

これからは介護と農業などと吹聴し政権を握ったところが、普天間基地、中国漁船衝突事件や毒ギョーザへの対応の不手際。宙に浮いた年金やマニフェストになかったはずの増税など、取り上げれば指が幾つあっても足りません。

当然のことながら自分の身は自分で守る。家族も自分が守る。地域は皆で守る。個人や自由を主張する前に、果すべき義務を果しましょう。

最後に私が言いたいのは、利益の追求では、人は育たないということです。人と人とのふれあいや「やりがい」、仕事の難しさや面白さ、そして情熱でしか人は育たないと思っています。

ものづくりの原点はまさに人づくりであり。人と人とを繋ぐのは仕事なんです。「うちは公務員だから安泰」などと耳にしますが、よく考えて下さい。

公務員という仕事が望まれる国では、先が思いやられます。稼がなければ、家も国家も破綻するんです。次の世代に引き継ぐ事のできる責任ある判断が求められていると思います。

将来、息子や娘以外の人でも仕事の選択肢の一つに農業が入っていればと考えますし、そんな間口の広い包容力のある農業を目指しています。

あの10年前の分岐点での自分の判断は、間違いではなかったと思いますし、また、子供達に誇れる自分でありたい。そのためにも、日々精進を重ねます。皆さん、時間と天気は平等なのです。一度きりの人生ですから、努力を惜しまず、充実した人生にしましょう。ご清聴ありがとうございました。 

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